あの、心躍る日々と共に…

大谷和利

 時計の針を1984年に戻して欲しい。そう、この世界に初めてApple社のMacintoshが出現した頃に…。
 当時の日本で、おそらく池田友也さんほど、その登場を喜んだグラフィックアーティストは居なかったに違いない。Macが日本のクリエーターたちの間でツールやメディアとして認識されるのは、もっとずっと後のこと。しかし、池田さんは早くからその可能性を見抜き、自らMac上で時代に先駆けた作品を作ることによって、パーソナルコンピュータによるCGとマルチメディアの地平を開拓する道を選んだのだった。
 彼の創作活動はまさにMacの進化と共にあり、常にその時の環境を最大限に活かした作品づくりを行なってきた。その中で、一般の目に触れた一番最初の作品が、モノクロのグラフィックエディタMacPaintの表現能力の限界に挑んだ「電脳絵巻」(1986年)である。
 演算星組のメインスタッフとして手がけた電脳絵巻は、日本文化に根ざした様々な事物を驚くほど緻密なビットマップに置き換えたクリップアート集であり、MacPaintというデジタルの絵筆を自在に使いこなす池田さんだからこそ生み出しえた傑作だった。
 続いて1987年にマルチメディアオーサリングツールの元祖とも言えるHyperCardが登場すると、池田さんの創造性は静止画からインタラクティブなタイトル制作へと守備範囲を広げていった。個人情報管理を電脳空間のナビゲーションツールに結びつけた「サイバースペースデッキ」(1988年)の発表である。
 サイバースペースデッキは、実用性とエンターテイメント性が絶妙にブレンドされたタイトルだったが、振り返ってみれば、彼の作品はどれもそうした「ウィットに富む真面目さ」とでも言うべきものを備えていた。
 一方で、やはり1987年に発売されたMacintosh IIのカラーグラフィック性能とその上で稼働する高機能カラーグラフィックツールのPixelPaintを得て、池田さんは1988年からCGによるマンダラ制作に取り組み始めた。マンダラは、宇宙のすべてを内包するという壮大な概念でありながら、とてもシンプルなシンメトリー構造を持っている。限りなく均整の採れた小さな宇宙……それは彼を魅了し、商業作品の合間を縫うようにライフワークとしてのアートを生み出していった。
 さらに、1990年にはスクリーンセーバー「AfterDark」で有名なBerkeley Systems社が彼の才能に注目し、両者のコラボレーションによって飛びきりポップな作品が生み出されることになった。後にAfterDark自体のシンボルイメージ化した「Flying Toaster」のモジュールである。つまり、彼の最も有名な作品の1つは、今日も世界中のMacの画面を元気よく飛び回っているというわけだ。
 活動の拠点をアメリカ西海岸に移した池田さんは、その後も日米文化の架け橋となって様々なプロジェクトを手がけ、90年代の仕事の集大成として、まったく新しいグラフィックフォントツール「TypeDesigner」(Palmsoft/トランスコスモス)の開発に着手。自ら1000種類にも上るユニークなフォントをデザインして1998年に発表したが、残念なことにこれが遺作となった。しかし、そこに込められたユーモアは、今でも使う人の顔に笑みを浮かばせる。
 僕たちと共に、めくるめくようなマルチメディアの日々を駆け抜けた池田さんは、もはやこの世にいない。しかし、彼を知る人々は、きっとこう信じていることだろう。彼は今、自らが描いたマンダラの世界に遊んでいるのだと…。

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